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桜の名所づくり

2024全国さくらシンポジウムin桜川

2024全国さくらシンポジウムin桜川 ~ 100年先へ 桜花爛漫 ヤマザクラ ~

2024年4月4日(木)・ 5日(金)

2024年は、桜川市内の磯部地区にある国指定文化財である名勝「櫻川」が指定100周年、天然記念物「桜川のサクラ」が指定50周年を迎える記念すべき年です。桜川市は、東日本最古の桜の名所とも言われ、その歴史は1000年以上とも言われております。
大会テーマに込めた想い:
「100年後の未来も桜川市内の里山に素敵な自然が保たれており、春はヤマザクラやいろんな花が咲き乱れる、人と自然が共存する町桜川市を作っていければと切に願っております。」

プログラム

4月4日(木)シンポジウム 会場:桜川市大和ふれあいセンター「シトラス」

活動事例報告

「官学連携による桜川のサクラの樹勢調査」
報告者 : 県立真壁高等学校 農業・環境緑地科 環境緑地コース 生徒
日本樹木医会茨城県支部 支部長 古谷 孝行氏

[生徒発表]
「桜川市まち・ひと・しごと創生総合戦略」事業の一環として、2015年に官学連携に関する協定を締結した真壁高等学校では、2016年より環境緑地科の生徒が名勝指定地のサクラの保全に向けた樹勢調査を行っています。次世代に通じる技術者育成を目指して樹木医の古谷 孝行氏と共に活動に取り組み、2022年までに国の天然記念物「桜川のサクラ」520本の樹勢調査を終えました。2023年からは、櫻川磯部稲村神社から2周目の調査も始まりました。サクラの若木は生徒たちで山採りし、ポットで養生しています。樹勢回復のために定期的に施肥を行っています。

[古谷氏発表]
これまでの調査結果として、ヤマザクラ以外の園芸品種が多く植えられ、ヤマザクラとの交雑が危惧されること、ヤマザクラが衰退し腐朽や枯枝などが多く見られること、植栽地の栄養分が不足する忌地状態であることが判明しました。今後は、老木化したヤマザクラの植替えのために後継樹育成を充実させ、農業高校内施設で保護育成したヤマザクラ苗を市内小学生や市民と共に指定地内に植替えると共に、市とも協力して情報共有化と発信を心がけ、地域におけるサクラへの関心を高めていきたいと思います。

◆発表後、真壁高等学校環境緑地科の生徒より、大塚秀喜桜川市長、櫻川磯部稲村神社磯部亮宮司に調査報告書が手渡されました。


  • サクラ保全活動を担う真壁高等学校生徒たち

  • サクラや土壌調査などに取り組む
  • (写真提供:桜川市、県立真壁高等学校、古谷 孝行氏)


「桜川日本花の会の活動」
報告者 : 桜川日本花の会 代表 磯部 亮氏(櫻川磯部稲村神社宮司)

平安時代、紀貫之が和歌にも詠んだ桜川のヤマザクラは、古くからこの地域の人々によって大切に守られてきました。江戸時代には水戸光圀公が桜川のサクラを大いに気に入り、吉宗公の時代には江戸の隅田川堤や玉川上水堤に植えるために桜川のサクラの苗木が運ばれたという記録が残っています。吉野山からも桜が運ばれたことから、ヤマザクラの名所として「西の吉野、東の桜川」と称されるようになりました。大正時代にはサクラの調査に当地を訪れた三好学先生が桜川のサクラの重要性を説かれ、大正13(1924)年には名勝「櫻川」として国の指定を受けています。昔の人は若芽、花、また花が散った後の新緑と三段階のお花見を楽しんだそうですが、やがて〈染井吉野〉の人気に押され、樹勢も弱って桜川のヤマザクラは衰退の危機にありました。昭和49(1974)年には国の天然記念物の指定を受け、国指定名勝と二重に保護されることになります。
貴重な地元のヤマザクラを活用して名勝再興に繋げられればと、2005年に「サクラサク里プロジェクト」が設立され、2014年には桜川市商工会岩瀬地区青年部を中心として桜川日本花の会が設立されました。国指定名勝「櫻川」、国指定天然記念物「桜川のサクラ」の指定種をはじめ、地域に自生するヤマザクラの保護・育成を通して、自然の素晴らしさを感じ、愛する心を育み、風土と調和した地域づくり運動を広く実践すると共に、会員相互の交流を図ることを目的としています。
桜川には55万本のヤマザクラとカスミザクラが筑波山系から高峯まで自生しています。地元では「桜はあって当たり前」で関心が薄くなりがちです。名勝指定地域では2008年に760本あったヤマザクラが、2019年の調査では580本以下になっていました。桜川市役所にヤマザクラ課が設置されて以降は、市内小学校でヤマザクラの勉強会などサクラの授業を実施しているほか、地域の財産であるヤマザクラ保護育成のための勉強会「桜守養成講座」を行っています。市民の方にも協力していただき、1000年以上の歴史を持つサクラを守っていきたいと思っています。


  • 市内小学校でヤマザクラの授業や種まきを実施
    (写真提供:桜川市、磯部 亮氏)

  • 桜川のヤマザクラ
    (写真提供:桜川市)
記念講演

「桜川・千三百年の桜文化史」
講演者 : 水戸桜川日本花の会 代表幹事・歴史研究者 稲葉 寿郎氏

奈良時代に成立した『常陸國風土記』にある「桜の花咲く春に、あるいは紅葉の赤染む秋に、手を取り連れ立って、(中略)馬に乗りあるいは歩いて山に登り、楽しみ遊ぶ」との記述から、日本最古の花見は筑波山であると言えます。世阿弥の謡曲『桜川』には「筑波山を南の方から桜川の方へ歩いていくと、あちらの面にもこちらの面にも山桜が咲いている」という一節がありますが、筑波山は『万葉集』に詠まれた山の一位であり、いにしえより重要視されてきた存在でした。
名勝・桜川(さくら河)の歌を詠んだ歌聖・紀貫之の祖父は下野守を務めた人物であり、叔父や従兄弟も下野・益子にゆかりがあったことから、貫之自身は訪れたことがなくとも、桜川の情報を得られていたと推測できます。紀貫之以降の平安・鎌倉時代には、歌学の形成と共に、藤原定家をはじめ様々な形で桜川が歌に詠まれていきました。やがて「西の吉野、東の桜川」との認識が流布するようになり、室町時代に世阿弥が作った謡曲『桜川』は、桜川の名声が天下に鳴り響くきっかけとなりました。櫻川磯部稲村神社の神主・磯部祐行が、鎌倉公方足利持氏に献上した『花見噺・櫻児物語』を下敷きに、息子の行方を探し続ける母親が、ついに磯部の地で出会えるという旅の物語です。櫻児という名の息子恋しさに、川に流れる桜の花びらを一枚でもおろそかにすまいと網ですくう母親の思いが図案化され、茶の湯の世界では桜川釜という茶釜が作られました。師からこの茶釜を継承したのが千利休で、切腹後一度は豊臣秀吉に没収されますが、後にこの茶釜は徳川家康が千家に返却しています。
江戸時代には桜川の桜が隅田川や飛鳥山に移植され、水戸光圀公は吉野の桜のほか、元禄9年に桜川のヤマザクラ数百本を取り寄せて水戸の箕川沿いに植樹し、一帯は桜川の名称で呼ばれるようになりました。
このように桜川の桜は和歌・能・茶道・器など、様々な側面で日本の伝統文化の基盤を作ってきたと言えます。全国の皆さんに桜川の価値を改めて認識していただければ幸いです。
2012年に発足した水戸桜川日本花の会では、水戸の桜川に光圀公ゆかりの「史実に基づく桜の景観の復興」を軸として活動を続けています。


  • 稲葉氏の活動より、ヤマザクラ植樹式
    (写真提供:稲葉 寿郎氏)

「桜川のサクラの種類」
報告者 : 森林総合研究所 勝木 俊雄氏

会場の様子

  • 活発な意見が交わされた
    パネルディスカッション

  • 次回開催地 岐阜県恵那市 挨拶

  • 交流会歓談の様子
  •   

4月5日(金)現地見学会

【半日コース】市内名勝指定地区周遊コース
高峯見晴デッキ→磯部桜川公園→櫻川磯部稲村神社

【一日コース】半日コース+日本花の会結城農場・桜見本園見学コース
磯部桜川公園→櫻川磯部稲村神社→高峯見晴デッキ→日本花の会結城農場・桜見本園


  • 櫻川磯部稲村神社にて
    宮司・磯部亨氏

  • 櫻川磯部稲村神社にて
    櫻川保勝会の皆さんによる
    ボランティアガイド

  • 結城農場・桜見本園

  • 結城農場・桜見本園にある
    当会作出のサクラ‘舞姫’の原木

  • 結城農場・桜見本園
    桜苗木の生産圃場

  • 結城農場・管理事務所前で
    参加者の皆さんと